民藝のまち、長野県松本市を訪ねて(民藝のあるくらし)
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民藝のまち、松本を訪ねる
「道を歩かなかった人。歩いたあとが道になる人。」民藝の祖、柳宗悦のことを盟友の陶芸家・河井寛二郎はこう表現しており、その柳宗悦が中心となった民藝運動(大正14年)がきっかけで、今の私たちは素晴らしい「日本の美意識」を全国各地で触れる事ができるようになりました。なかでも「用の美」として普段使いのモノや日常生活に宿る美、このお手本のような町があります。そこは長野県松本市。今回は民藝にゆかりの深い松本を紹介したいと思います。
松本民藝の祖、丸山太郎
松本市中町通り。松本を訪ねる旅人にまずおすすめしたい通りがあります。それが中町通り。近年、松本市の熱心な取り組みも功を奏し、景観の大変美しいこの通りは、多くの人で賑わうようになりました。その中町通りにお店を構える「ちきりや」。丸山太郎の生家丸山家の屋号は「ちきりや」 といい、広く知られる老舗問屋でした。祖父源内と父の代に家業は進展し多くの資産を築きます。家業を継ぎ、精を出す太郎に大きな転機が訪れる事になるったのは昭和11年の秋でした。東京駒場に「日本民藝館」が柳宗悦らの努力によって開館し、その新聞記事を目にした27歳の太郎は上京 し、民藝館を訪ねました。以来、太郎は上京のたびに民藝館を再訪し、柳の著作にも導かれて、次第に民芸運動に心を引かれていきました。太郎は、柳のことを「何世紀に一人しか生まれ得ない先生」と、終生かわらぬ敬慕の念を抱き、その忠実な弟子の一人となって、自己の民芸の世界を追い求め松本市内の道具屋を回り、県内を調べ尽くし、県外に民芸品を探索する旅へでました。このような丸山太郎の活動により昭和21年、日本民藝協会長野県支部を発足させ、今の松本が民藝のまちとして進化を遂げました。
丸山が遺した民藝の粋「松本民芸館」
太郎が松本民芸館建設を決めたのは長女の死だったそうです。失意の底にいる太郎を柳が訪ねてきて励まし、この時に太郎は民芸館を建てる決心がつきました。市の中心より北か東で松林が見えるところをと探し求め、里山辺下金井地区に決め松本民芸館の建築が始まりました。昭和37年についに念願の松本民芸館が開館します。太郎が命をかけた一世一代の事業でしたがこの開館を楽しみにしていた柳は、前年の5月3日に亡くなりました。収蔵品は、日本はもちろん、世界各地の多種多様な品々で、これらはみな、太郎がその生涯をかけて蒐集(しゅうしゅう)したものです。
作り手としても才能を開花させた太郎
松本民芸館に展示されている太郎の蒐集物の中に、ひときわ美しい張小箱や名刺入れが展示されています。この螺鈿細工の張小箱や名刺入れは太郎が手掛けた民芸品で、卵殻張小箱は昭和31年に日本民藝館賞を受けほどの逸品です。太郎は作り手としても後世に素晴らしいものを遺しています。「用の美」としての民藝を追求する中で美意識を高め、それを作品に生かす。まさに、松本が民藝のまちとして発展していったストーリーの原点が垣間見えます。
まつもと民藝の宿、すぎもと
そんなこだわりの松本民藝をコンセプトにしている宿があると知りました。松本駅から車で20分ほど走りと小路にほのかな温かい灯が見えてきました。宿の前に車を止めると、従業員の方の心地よいお出迎え。そしてどこからともなく聴こえてくる心地よいジャズの音色。そう、ここが日本全国から食通・酒好きが訪ねる宿、民藝の宿、旅館すぎもとです。日本酒、洋酒などジャンルとを問わず知識も豊富で専門家に負けずとも劣らない店主、花岡さん。この花岡さんに会いに全国から食通・酒通が集うとことは、松本駅から乗車したタクシーの運転士に教えてもらいました。「日本に宝石箱のような小宿を創っていこう」と、仲間を集めて始まったのが「世界宿文化研究会」でした。この12の宿の会の発起人の一人でもある旅館すぎもとの当主、花岡さん。この会のメンバーは湯布院玉の湯、天草五足のくつ、唐津洋々閣、広島石亭、有馬御所坊、修善寺温泉のあさば旅館、山田温泉藤井荘など老舗の旅館ばかり。その中に名を連ねる旅館すぎもと。決して豪華や派手さはなく、花岡さん曰く「居酒屋旅館」としてその地位を確固たるものにしています。
自らが料理人として客人をもてなす
花岡さんを語る時に代名詞といえるものがあります。それは花岡さん自ら「蕎麦打ちをして、客人をもてなす」です。17:00から蕎麦を打つこと1時間。この日のお客様の夕餉に提供するためだけに毎回蕎麦を打ち続けます。素材へのこだわり、手抜きのない力強い業、宿泊客が身近でこの蕎麦打ちを見学できる「お客様との距離の近さ」も花岡さんならではの演出でしょう。このように店主の顔が見え、存分にもてなす宿は数多存在する日本の宿でも少ないのではないでしょうか。
居酒屋旅館として地位を確固たるものにした斬新的な夕食
地産の食材はもちろん、食通である花岡さんは日本に留まらず世界中から食材を探し、その時候にあったものを提供します。花岡さんが提供する料理のコンセプトは「どの料理を食べても酒が飲みたくなる」というものです。お酒が少ししか飲めない私でさえ、ついついお酒を頼んでしまいます。馬刺し一つにとっても薬味は豊富で、時間が許せば花岡さん自らがおすすめの食べ方を指南いただけます。花岡さんに顔を覚えてもらうことで、こういった会話が弾む事を期待してリピーターが増えているのかもしれません。そして旅館の定番である会席スタイルにこだわらず旅館の常識を覆がえす斬新な取り組み。新たなスタイルを打ちたてるべく日々進化する旅館すぎもとです。
(写真はこの日提供された韓国の筍。目の前で料理することで、短時間なら独特の苦味がなくなるとか。このような1秒のこだわり、食材の限界を追求して料理を提供する花岡さん流です)
アフターディナーは素敵なジャズで
花岡さんは音楽通でもあり、特に「音」にこだわっています。宿に到着したとき、ロビーであまりにも心地よいWelcome Songが流れていたので夕食後にロビーに立ち寄りたくなりました。これも花岡さん流のおもてなしの仕掛けなのかもしれません。時にはBarで花岡さん自らもてなしてくれます。ウイスキーの話が始まると知らぬ間に夜もふけてしまうほど知識が豊富。ロビーの時間は格別でした。
旅のたのしみはなんといっても温泉
ここ旅館すぎもとは美ヶ原温泉に位置します。泉質のよい温泉は奈良時代に既に湧き出でたといわれる由緒ある伝統的な温泉です。源泉は旅館の中庭にあり、大浴場は地元木曽産の五木でつくられていて、ゆったりと浸かることができ、日常の疲れを癒してくれます。
松本民藝に囲まれた部屋
旅館すぎもとの特徴はすべて部屋タイプが異なり、どの部屋にとまっても個性的で、旅人を飽きさせないこだわりです。松本民芸家具はもちろん、花岡さんのこだわりのモダンタイプの部屋もありますが、部屋から部屋への移動通路など、至るところに松本民藝や道祖神などがあり、旅人を楽しませてくれます。
(写真はバーナード・リーチデザインチェア。こだわりの逸品)
大自然豊かな松本の魅力
ここで松本の魅力をいつくか紹介したいと思います。美しい山々に囲まれた松本。松本市内から北西の方角に常念岳が高くそびえています。標高2800mを超える常念岳を含む北アルプスの山々。春先にかけて雪がかかる山々は日本が世界に誇る風景美でしょう。
市内を少し移動し、常念岳の眺めのスポットを旅館すぎもとの花岡さんに教えていただきました。この景色が信州の魅力のさいたるものです。
(写真は常念岳の眺め。晴れた日の常念山の眺めは本当に美しい。)
守り神、道祖神をめぐる
道祖神は厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として道の辻に祀られている民間信仰の石仏で、特に信州安曇野村などでは数多くの道祖神を目にすることができます。おそらく18世紀~19世紀にかけ水田が整備されたため、水田の作業を担う人たちが祈りをささげるために多くできたであろうと伝えれています。
(写真の道祖神は天保15年(1844年)。200年の時をこの地から見守る)
お目当ての松本民芸を探す
松本を訪ねたら必ず立ち寄りたい民芸家具のお店、松本民芸家具店です。(所在地:松本市中町通り)
民藝運動の祖、柳宗悦の影響を受けた松本民芸家具の創始者、池田三四郎。バーナード・リーチもたびたび松本家具を訪ねました。リーチデザインの椅子は広く世間に知られています。松本民芸家具は手作りの極み、デザイン性にも機能性にも優れ多くの愛好家がここ、松本民芸家具店を訪れます。
松本の名水巡り
松本中町付近でもう一つ楽しい巡り方を紹介します。それは「名水巡り」。松本には伏流水がいつくも存在し、湧き水名所が点在しています。私はこの名水の中でも女鳥羽(めとば)の泉がおすすめです。甘い風味で遠方よりこの水を求め多くの人がやってくるようです。不思議なことに湧き水の味は場所によってすべて異なります。あなた好みの名水をぜひ見つけ出してください。
民藝居酒屋 しづか
松本の夜の愉しみは居酒屋めぐりでしょうか。なかでもおすすめしたのが、民藝居酒屋しづか、です。大女将、若女将がおもてなしする家族のようなお店は、連日多くのファンで賑わっています。県外のファンも多いとか。ランチもなさっているので、昼使いにもおすすめ。メニューが豊富で、名物のおでんなどぜひ味わってみてください。
(文/写真 岡田勉)
民藝まち、まつもとの魅力
私が初めて旅館すぎもとを訪ねたのは3年前でした。これまで松本を訪ねる機会もありましたが、一般的なパンフレットなどの情報で訪ねた程度でした。柏井壽さんや有馬温泉御所坊の金井さんからの紹介ですぎもと旅館の花岡さんとご縁をいただき、それから宿を訪ねる事、数回。すっかり松本民藝の魅力に引き込まれ、地域の知られざるスポットを巡るのが楽しみになりました。今回も色々と情報提供いただきました花岡さん、ありがとうございました。
次回は京都の知られざるスポットを紹介したいと思います。
ゆいStyle 編集長
岡田勉