「天と地を繋ぐ島」―長崎県 壱岐島―
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~”神秘の島” 壱岐島~
博多からジェットフェリーで約1時間。果てのない群青色の玄界灘を進むと荘厳な岩石群とともに長崎県壱岐島が見えてくる。
壱岐島は『古事記』では「天比登都柱(あめのひとつばしら)」と言われ、”天と地を繋ぐ島”という意味を持つ。
景勝地の“猿岩(さるいわ)”をはじめとした多くの巨石が海上に佇み、紺碧の海との美しい対比を見せるその様子から、岩石は島の動きを止めるために打ち込まれた“杭”とされ、島の名を「生き島(壱岐島)」と名付けられたとも言い伝えられる。
1800年前の弥生時代には、航海術の発展によって日本と朝鮮の中継地点として「一(い)支国(きこく)」が生まれた。
一支国王都の跡地である「原の辻遺跡」では当時を再現した建築物と辺り一面の田園風景から、古の時代へタイムスリップしたかのような感覚を味わえる。
壱岐島は、雄大な自然と古代から現在に至るまで受け継がれてきた、歴史文化を随所に感ることができる稀有な島だ。
~壱岐島を五感で楽しむ~
壱岐島での宿泊は島唯一のリゾートホテル”壱岐リトリート海里村上”にて二連泊でご用意。全室オーシャンビューの部屋の窓からは、海原にぽつぽつと浮かぶ島々の絶景を独り占めすることができる。
神功皇后が遠征の際に発見したという伝説をもつ島唯一の温泉である”湯ノ本温泉”を厳選かけ流しで楽しめるのも魅力的だ。部屋の露天風呂から壱岐の海を眺めながら浸かると心身ともに癒された。
料理は総支配人兼料理長の大田誠一氏自らが食材を仕入れ、厨房に立つことで”食の宝庫”壱岐島の恵みを振る舞う。旬のアワビや紫ウニなど、眼前の海から揚がった新鮮な海の幸はもちろん、島外では滅多に流通しないといわれる”壱岐牛”も楽しむことができる。
~唯一無二の壱岐神楽~
国指定重要無形文化財にも指定されている「壱岐神楽」は、見る人を飽きさせない壱岐島の伝統芸能だ。
聞き取りやすい調子の歌や笛に乗り、剣や弓を持ったアクロバティックな舞が披露されるが、演者全員が神職という全国でも類を見ない”神職のみが舞手を務める神楽”ということに驚かされる。
神楽の舞手は、かつては神と人を繋ぐ存在の神職が行っていたが、明治3年(1871年)の「神職演舞禁止令」にり、現在のように一般の人々が舞う形態に変わったとされる。それゆえ日本のほぼ全ての土地で、「神職が神楽を舞う」という伝統は絶えてしまったが、ここ壱岐島では、この禁止令以後も古からの形式である神職による神楽舞・音楽が受け継がれ、守られ続けている。まさに「伝統」の芸能なのだ。
私たちが取材した日はちょうど壱岐神楽が奉納される秋祭りの日だったが、ご厚意により祭りに招待をいただいた。場違いにスーツを着て現れた私たちを、島民の方たちは温かく迎え入れ、壱岐島名産の麦焼酎を片手に、神楽のことを大いに語っていただいた。
煌びやかな神楽が始まると、じっと見つめる島民の姿がとても印象に残っている。壱岐神楽は島民にとって古き良き「ハレの日」の伝統芸能なのだと実感した。
「祖父の神楽を見て自分も踊りたいと願った」と神職の一人は話す。壱岐神楽を踊ることが許される神職の資格を持つのは、2万人いる島民の中でわずか18人のみ。神社の数と神職の数は吊り合わないが、各々が掛け持ちをしながら神社に神楽を奉納するため、日によっては1日に5、6回も踊るという。
多忙を極める壱岐島の神職だが、それでも神職以外の人が神楽を舞うということは「今のところは考えていない」と答える。「壱岐神楽を舞う姿を自分の子どもたちがカッコイイと言ってくれる。いつか家族全員で神楽を舞う日が来るかと思うと、今からとても楽しみです」。伝統を継承し続ける使命感や熱意とともに、優しいまなざしで壱岐神楽の未来に夢を語る姿が印象的だった。全国では既に絶えてしまった伝統の形ではあるが、ここ壱岐島では先人たちの想いとともに連綿と受け継がれてきたのだと思うと胸が熱くなってきた。
〈写真:住吉神社 禰宜 川久保貴司氏〉
この想いが島を超え、多くの人々に繋がることを願いながら、壱岐の旅をお届けしたい。
日本人の源流ともいえる「天と地を繋ぐ島」で真結が新たな縁を結ぶ。