丹波の暮らしの美に触れて
丹波篠山、と聞いて何を思い浮かべますか?
思いついたのは、まずは丹波焼、続いて丹波の黒豆、寒い時に食べたいボタン鍋、ケーキにトッピングされてほしい丹波栗等。食いしん坊な私は焼き物に加え美味しそうな単語ばかりが続きます。
今回取り上げる丹波篠山市は兵庫県の中東部に位置し、800年の歴史を誇る「丹波焼」の窯元が60存在しています。窯元においては、「民藝」の提唱者である柳宗悦の思想の影響を受けた作り手も少なくありません。また、青垣地域で織られた手つむぎの絹と木綿を交えて織る「丹波布」や、仕事着として農作業の合間に縫われていたという「丹波木綿」もあります。
このように「手仕事」の現場が数多く点在する丹波篠山は、こちらの探求心がそそられる地域ともいえます。
まず、引き寄せられて伺ったのは「ガラス工房るん」の宮崎恵巳さん。黒豆硝子があることを知り、ガラス&黒豆の異色のコラボレーションに興味がそそられ、工房を訪ねました。
ホームページで見た琥珀や薄緑色の絶妙な配色を目にし、ガラスにまつわるお話を伺えることにワクワクしながら、到着しました。
併設されたギャラリーの窓辺に飾ってあるのが『黒豆硝子』の一輪挿しとぐいのみ。2018年と2019年収穫の黒豆を燃やした灰をガラスと混ぜて制作されていますが、年度により異なる色合いになるそう。ますます興味がかきたてられます。
宮崎さんはご夫婦でガラス工房を営まれ、従妹が篠山暮らしをしていたことがきっかけで14年前に丹波篠山市へ移住。
新たに工房を構えることにより、四方を山にかこまれた静かな環境で思いのままに創作活動に励むことができるようになったと顔をほころばせながらおっしゃっていた。
なぜ、黒豆硝子を作られたのですか?
__ きっかけは、ガラスの世界に、地域の素材や特色を、織り込むことが出来ないか?という気持ちからですね。私たちがここで活動するにあたって新たな挑戦をしたかったのです。自家栽培した黒豆を燃やし灰にして作ったところ見たことのない色が生まれて。
2014年頃から実験を重ね、2018年から本格的に商品販売を開始し、今では地元の方々が面白がってくださって黒豆や黒豆の枝を分けてくれるんですよ、と玄関に置かれた袋から取り出してくださった。
ガラスの世界に入られたのは?
__ 幼いころから動物を形どったガラス細工が大好きで。過去にはゾウのガラスを作っていたことがあります。今思えばそれがきっかけだったかもしれません。
店内にはきらりと輝くグラスや温かな光をまとったランプシェイド、またアクセサリーが並び見ていてこちらも胸がときめきます。
子供のころのワクワクをずっと抱きながら、その気持ちが作品の端々に現れていてとても嬉しい気持ちになります。お土産にひとつ、kuro18と裏面に記載されたぐいのみを購入。
続いて向かったのは「sankara」のイラズムス千尋さん。土壁で納屋を改造した工房には白熱球のやわらかな灯りと、窓辺からの光に包まれた空間で迎えてくださった。
おじいさんおばあさんのお里が丹波で、昔から馴染みがあり、陶芸家であるご主人の独立をきっかけに岡山県から丹波へと移住された千尋さん。
岡山で羊毛の糸紡ぎをされていた当初から布づくりの楽しさを感じ、移住後に丹波布伝承館の長期教室へ通ったのが『丹波布』との出会いのきっかけだったそう。伝承館にて技術を学び、現在着物の帯やストール等を制作され、手織り教室も開かれています。
草木染めについて尋ねると、箪笥の引出しをひらいて楽しげに話してくださる。そこには、色見本帳では出せない柔らかな配色の糸がみっちりとおさまっていました。
__葉って緑のイメージがあると思うんですけど実は緑色に染まらないんです。この緑も様々な色を組み合わせて作っているんですよ。花が咲く前が一番力を持っていて鮮やか色に染まるんです。弱っているときだと色褪せも早いのでタイミングを見計らって剪定をしています。
材料集めが楽しくて。近くの庭でとれた植物を使うこともありますし、散歩の際に地域の方々が剪定されている場面に出合うとその方から材料をいただくこともありますよ。
目尻を下げたお顔から楽しさが伝わってきます。
手織りの現場を見せていただき、丹波布について教えていただきます。
丹波布の元となる『佐治木綿』は丹波青垣地区で、江戸時代の農家の主婦が農閑期に副業として制作し、明治末期からの工業化の影響で需要がなくなり衰退しました。そんな中、「民藝」の思想を広めた哲学者 柳宗悦がこの布の価値を見出したことにより再び脚光を浴びることとなります。そして丹波布は国指定選択無形文化財に認定された際に約束事が作られました。
その約束事とは、『手つむぎであること、緯糸に絹を入れること、草木染めをすること、手で織ること』
___ 糸つむぎや染色、機織りまで全て自分で工程を管理しながら作るところにやりがいを感じています。丹波の名峰、三尾山に見守られながら一つ一つ慎重に工程をふみ、仕上がりをまつ段階でも意識し続けています。そのようなときに次の作品のアイデアが浮かぶこともありますね。
布見本を綴ったファイルを見せていただいたあとは、工房2Fギャラリーへと案内され、丹波布のブックカバー、小物入れ、帯やバックを見せていただきました。
一つ一つの布の色味や柄が異なる中で共通して凛とした印象があるのは、緯糸に使われる『つまみ糸』の密やかながら強い存在感によるものかもしれません。自然由来の柔らかで穏やかな配色の上を『つまみ糸』が滑り、個性的な仕上がりとなっている。自然の素材を活かして布を織りあげ、私の目を楽しませてくれたイラズムス千尋さん。布づくりへの愛が穏やかで温かな語りを通じて伝わり、とても満たされた気持ちで工房を離れました。
「俊彦窯」は初代松之丞氏から現在4代目の俊彦氏が昭和52年に開窯した窯元。俊彦さんは、かつて民藝運動を進めていた河井寛次郎氏に師事していた生田和孝氏のもとで修行したのち独立をされ、今もなお人々の生活に寄り添う丹波焼を作り続けていらっしゃいます。
丹波焼の魅力は「時代とともに変化に富んでいること」。『用の美』の思想をもとに、暮らしになじみ機能的である作品を作り続ける俊彦さんと、今井政之氏眞正氏に師事し、丹波焼の伝統を組み入れながら新たな作風にチャレンジする剛さん。
剛さんに案内され、囲炉裏を囲みお話を伺います。招かれたギャラリーには、柔らかでぬくもりを感じる作品からどっしりと強靭な印象の作品まで、カラフルな色を纏い繊細な線が刻まれた作品迄、多様な丹波焼は見ていてとても愉快な気持ちにさせてくれます。改めて、丹波焼とは何か聞いてみようと思い、尋ねてみました。
___ 丹波焼は釉薬ものを江戸期に取り入れていますが、焼締めの産地でもなく、立ち位置として『これが丹波焼』というものが明確に言えないのですが、何かしらの特徴はあり、余程、通でなければわからない焼き物だと思います。
愛媛民芸館で、古い丹波焼の収集もあると聞いていってみると丹波焼が3つ出ていて。2つは江戸と室町中期の壺は分かったのですが1つ無造作に置かれていた甕はキャプションもなかったがよくよく見ると丹波焼ということが分かりました。口元の部分にはげている部分があってわかった…というくらい玄人でさえ、特徴が分からない焼き物です。
それでも、『丹波焼』の特徴を組み入れながら新たな作風で作陶しているのが『刻紋シリーズ』。針金を束ねたものをクシ状にして荒い線やピッチの細かい線を施している。轆轤を引き、削り、線を入れ、色を付けたのち素焼きを行っていく。全て完成までに行程が多いので制作にかなりの時間を有するのだそう。
10年前から伝統的な『丹波焼』と、『刻紋シリーズ』と並行して作られていると聞いて興味深く感じた私は、なぜ『刻紋シリーズ』を始められたのか気になり、剛さんに問いかけました。
___室町時代中期頃の丹波焼に猫がひっかいたような文様『猫がき紋』が出始め、その猫がき紋を現代風にアレンジできないかというのがスタートですね。
備前・信楽焼等と比べて明確な定義や特徴のない丹波焼と対峙する中で、丹波焼をベースにした新たなあり方を模索していたときに、その手法にたどり着きました。
刻紋シリーズと伝統的な丹波焼を作るうえで面白いのは、前者は自然のモチーフをとした形のアイデアが豊富に出てくるところ、後者は土の質感や素材感、釉薬の変化を愉しむところにあります。ただ、最後の工程で自ら完成させられない、自然に任せなければならないのが陶芸の特殊さで、土が弱いものはゴムみたいに窯の中で曲がったりすることもあり肩を落とすこともあります。
両作品を丹念に作り、アイデアを膨らませる剛さん。今後チャレンジしたいことは?
__大きなテーマは、自分として丹波焼というものをどうやって作っていくのかということ。このような丹波焼を作っている人がいた、という丹波焼の歴史の一部になれたら嬉しいですし、昔の丹波焼を見ると強くそう思います。
伝統的な要素を活かしつつ、その先の丹波焼の在り方を模索し続ける剛さん。受け継がれてきたものを新たに紡いでいくことの決意は強く、大いに背中を押される取材となりました。
真結では俊彦窯を訪ねるツアーを予定しております(こちらをクリック)
~YUIlivings 丹波篠山フェアのご案内~
YUIlivingsでは下記期間にて『丹波篠山を感じる、触れるフェア』を開催予定です。お手にとって、じっくりと作品をお楽しみください。
第一弾企画『とんぼ玉、黒豆硝子』 期間:2021年3月30日(火)~4月18日(日)
第二弾企画『丹波焼・俊彦窯(清水俊彦・剛 親子展)』 期間:2021年4月20日(水)~5月5日(水・祝)