「おわら風の盆」の舞台・越中八尾のまちを訪ねて
- 人
- 伝統・文化
「おわら風の盆」の舞台・越中八尾を訪ねて
富山県・越中八尾にて毎年9月に開催される「おわら風の盆」。江戸時代から300年以上の歴史を持つ富山を代表する祭だが、2020年は新型コロナウイルスの影響により中止を余儀なくされた。中止は実に75年ぶりだそうで、前回の中止は第二次世界大戦の影響によるもの。新型コロナウイルスがいかに大きなインパクトを与えたか思い知らされる。
舞台となる富山市八尾町。地名は飛騨の山々から富山へ伸びる8つの山に開かれたことに由来すると言われている。江戸時代に街道の拠点として売薬、和紙の販売や養蚕などで栄え、その豊かな経済力が「おわら風の盆」をはじめとする町民文化を育んだ。山の傾斜に石を積み上げて細長く形成された坂の町、石畳の道と白壁と格子戸の町並みが特徴的であるが、訪問した日はあいにくの大雪。雪になじみのない私にとっては、雪が積もった町並みは大変幻想的で、八尾のまちなみに触れる興奮すべき訪問となった。真結の旅で、「おわら風の盆の町“座敷おわら”と八尾の民藝を訪ねる旅」というツアーが企画されている 。この「座敷おわら」とは、伝統ある建物で、美しい胡弓の音色と妖艶で洗練された踊りを、幻想的な灯りと演出で彩る、令和にふさわしい「新しい座敷おわら」として、真結のお客様のためだけに特別に企画された演出である。この企画の実現にあたって多大なるご協力をいただいたのが、「山元食道」の山本武良さん。八尾の町を愛し、地域で面白いことを次々と仕掛けていく山本さんから地域づくり街づくりのエッセンスを吸収すべく、お話を伺った。NEO座敷おわらという新しいかぜ
越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する「おわら風の盆」。毎年全国から訪れる多くの人々を魅了し、紅白歌合戦にも登場するなど近年ではエンターテイメントとしての露出も増えてきた。
「それだけおわらの認知度が高まったということ。取り上げられたことは素直にうれしい」
と、山本さん。それでも山本さんは決して現状に満足していない。
「おわらは無形じゃなくて有形で、少しずつ形を変えて進化し続けてきました。外から俯瞰して客観的に見たおわらだけでなく、自分自身も胡弓弾きとして中から見たおわらも知っている。だからこそもっといい演出ができるという自負もあるし、映像などの技術でおわらを新しい形として発信し、次のブームを作っていかないといけない。75年ぶりに中止となったコロナ禍はそのきっかけであり、今まさに新しいことにチャレンジすべきタイミングだと思っています。そしてそれが、映像や演出と組み合わせた”NEO座敷おわら”です。どうせやるなら突き抜けてかっこよくしたい」
”NEO座敷おわら”という言葉に、山本さんの地元への愛、おわらへの誇りが込められていることを強く感じた。山本さんが考える「町づくり」とは
伝統を守る―何も変えずに踏襲するのではなく、世の流れを俯瞰しながら新しいものを融合してチャレンジしている山本さんは、「町づくり」というキーワードについてどう考えているのだろうか。
「“町づくり”、“街づくり”、“まちづくり”。表現によって受けとるイメージも違うから、一言ではくくれないです。八尾のような小さな「町」とオフィスビルが立ち並ぶ「街」。確かに受け取るイメージは違うが、それは人口とかで定義できるものじゃなくて、そこにいる人がどんな“まち”に住んでいるのか、どんな“まち”を作りたいのか、それぞれに“まちづくり”があると思うし正解なんてない。僕にとっては“町づくり”で、これは譲れない。」「町づくりと言っても、そもそもひとりではできることは限られている。継続して何かをやっていこうと思ったら、人脈や関係性があって、彼らをどう巻き込んでいくかじゃないですか。想いだけが先走ってもどうにもならないこともある」
つまり「町づくり」には「仲間」が必要だということであるが、先の話を当てはめれば当然全員が同じ「まちづくり」を思い浮かべているとは限らない。しかし山本さんはそこに決して妥協はしない。
「自分だけの町を作るぐらいの意気込みがあったほうがいいんじゃないでしょうか。それぞれの意見をぶつけ合って、時には一緒に酒でも飲みながら議論を交わして、想いをぶつけ合う。ひざを突き合わせて徹底的にやりあうことが大事だと思います」
熱意をもって徹底的にこだわる。そんな山本さんは、町づくりにおける「アーティスト」という呼び方がぴったりだと感じた。AMAZING TOYAMA、新しい挑戦
富山市にはまちづくりのキーワードとして「AMAZING TOYAMA」というキーワードがある。市民一人ひとりがわがまちに対して抱く愛着や誇り(シビックプライド)を醸成し、富山市民が当たり前に享受していたものを、あらためて驚きのある新鮮なものとして再発見するという意味が込められている。
フレームデザインは、正方形のフレームにAMAZING TOYAMAのロゴが配されている。この正方形のフレームを額縁のようにして、市民それぞれが身の回りのモノ(風景、食、名産品…)、コト(祭、文化、イベント…)、そしてヒト(表情、習慣、営み…)を切り取ることによって、一人ひとりの多様なAMAZING TOYAMAが見えてくるというシンプルな仕組みだ。いわばこのフレームは覗き見る人に対しての問いかけであり、一人ひとりがAMAZING TOYAMAの主役といえる。
山本さんの「町づくり」の話と「AMAZING TOYAMA」がここでつながった。山本さんの熱意はもちろんであるが、富山で多様な価値観を認め一人ひとりが主役になれる環境が整っていることも、面白いことが次々と生み出される要因の一つなのではないだろうか。私自身が描く「地域づくり」のすがた
山本さんの言葉と自分を照らし合わせて、どうしても聞いてみたいことがあった。
私は「地域づくり町づくり」がしたくてこの仕事をしているが、そこには想いしかなくて、自分のアイデアや実行力のなさをつくづく実感させられるのだ。
「僕だって失敗ばかりですよ。でもやってみないと何も始まらないじゃないですか」そう言ってある言葉を紹介してくれた。
“結局のところ熱量の絶対値が高いのか、低いのか―そこなんだと僕は思うのです”(映画監督 林弘樹)
「結局熱い想いってエンジンみたいなもので、それがないと何もできない。今日こうして会ってメシを食って、それも一つのご縁じゃないですか。一緒に面白いことやりましょうよ」「まちづくり」に限らず何かを成し遂げようとするには、1に熱い想い、2に人脈や関係性を活かすこと、3に想いをぶつけあってとことんこだわること。山本さんの熱い想いに触れ、背中を押されるとともにワクワクする気持ちがこみ上げてきて、改めて自分の「まちづくり」への想いを再認識させられる取材となった。
コロナ禍において、私たちを取り巻く環境は大きく変わった。スマホ1台であらゆることが完結し、オンラインで世界中の人とつながることができる。それでもこうして現地へ出かけ、直接人と出会い、話をして、熱い想いをぶつけ合うことに勝るものではないのではないだろうか。
きっと旅行においてもそうである。現地へ出かけて空気を感じ、人と出会う喜びはオンラインやバーチャルでは補完できない。取材中、山本さんも「これから旅の形も変わっていく」と何度も口にした。「旅先で見たものが人生のきっかけになる。旅先で誰かとつながることで、またその人に会いに行くきっかけになる。それがこれからの旅に求められるんじゃないですかね。」
まさに真結のコンセプトがそうであるように、私自身も地域との出会い、人との出会いといった一期一会を積み重ねて、面白いことにどんどんチャレンジしていきたい。熱い想いというエンジンとともに。記事/後藤健太 写真/岡田勉(一部提供)