地域の長い伝統文化が育んだ、
黒毛和牛の源「但馬牛」の故郷を訪ねる
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神戸、松坂、近江など、日本を代表する和牛の名産地はいくつかありますが、その多くは豊岡市・但馬地方で育った但馬牛が起源だといわれます。日本の和牛の原点とも言える但馬牛には、どのような歴史・文化があるのでしょうか。但馬牛の生まれた故郷を訪ね、地域の伝統を真摯に受け継ぐ畜産農家を訪問すると共に、そこから繋がる豊岡市の先進的な農業の試みや、伝統産業を巡りました。
但馬地方内陸部の山深い地形が、黒毛和種の純血を守った
兵庫県北部にある豊岡市は「豊かなる岡」と書く字の通り、市の中心を穏やかに流れる円山川の周辺に肥沃な湿地帯が広がり、多様な生き物が生息する重要な地域として、ラムサール条約にも登録されています。
豊岡市には「山陰海岸ジオパーク」の最大のハイライトである観光スポット「玄武洞」があります。そこはまさに玄武岩の語源にもなった場所です。今から約160万年前にマグマが噴出し、冷え固まってできた地形は、豊岡盆地下流域にある硬質な玄武岩の存在によって険しい山に囲まれた急激に狭い谷となり、上流から運ばれてきた土砂は盆地に堆積し、やがて湿地帯が形成されました。そこには様々な生物が棲み、コウノトリにとって絶好の生息地となりました。山深い内陸部には、河岸段丘を利用した棚田も多く見られます。そこでかつて水田耕作や輸送などを行う役牛として活躍していたのが但馬牛の元祖です。小柄で丈夫、多産なため、農家のなくてはならない相棒として、大切に育てられていました。
やがて明治になると西洋から入った肉食文化が日本人に浸透し始め、また戦後には農業の機械化も進み、食用としての牛の改良が進められてきました。元々険しい山々に囲まれ、閉ざされた地形だった但馬地方では、牛の交配も同じ地域内でのみ行われていました。海外品種なども取り入れた品種改良が全国で活発に進められていく中で、但馬牛は唯一ここだけの優良な血統が脈々と守られてきたのです。特に美方郡で飼育される黒毛和種は、とりわけ優れた血筋を持つ特別な牛として、その品質は高く評価されました。
豊かな土壌で丹精込めて育てられた「美方ファーム」の但馬牛
標高400m、四方を山々に囲まれ、風のよく通る冷涼な気候の中で、牛たちが元気に草を喰む、「美方ファーム」の牛舎を訪ねました。さっぱりと清掃が行き届いた牛舎内では、牛たちがのんびり穏やかに過ごしています。人が訪ねて来ても怖がったり威嚇したりせず、ちょっと好奇心の目を向けながら、どこか優しく人懐っこい様子。
「うちのスタッフは本当に牛が大好きでね、可愛がっているんですよ。だから人が来ても彼らは友達だと思っているんです」と話すのは、牧場管理者である小林清基さん。
通常但馬牛の畜産農家は、母牛を育てて出産した子牛を市場で売る繁殖牧場農家と、買った子牛を肥育し、食肉として販売する肥育牧場農家(松坂牛や神戸牛、近江牛はほとんどこちら)のどちらか一方であることが多いのですが、美方ファームではその両方を担い、出産から肉の販売までを一貫して行っています。子牛が小さいうちは母牛と同じ居場所にして、4ヶ月くらいまで母乳で育てます。同じ時期に生まれた牛をなるべく一緒のグループにして、ずっと同じ柵内で育てているため、牛同士あまり喧嘩をせず、ストレスも少ないそう。牛舎内にはラジオから演歌が流れていましたが、実は人の声が聞こえている方が、牛が安心するのだそうです。餌にホルモン剤やステロイド剤を加えることはせず、飲んでいるのは山から湧き出た井戸水。手間暇をかけ、牛との信頼関係を築き、細やかな配慮と愛情を込めて育てています。
そういえば牛舎の中を歩いても、あまり嫌な匂いがありません。実は牛糞の処理も小林さんのこだわりの一つ。自社内に専用の堆肥舎を作り、コンプレッサーで空気を送って微生物を活性化させ、十分に発酵させて堆肥を作ります。できた堆肥は、豊岡市が力を入れている「コウノトリ育む農法」や有機栽培の農家が利用し、循環型農法が確立されています。
但馬牛の伝統を守り、人を育て、地域に良い環境を築く
隅々までこだわり抜いた美方ファームですが、実は小林さんをはじめスタッフは皆、最初は全くの素人だったとか。元々建設会社のサラリーマンとして長く働いてきた小林さんでしたが、たまたまその会社が牧場経営に乗り出し、社長に就任しました。その後不況が訪れ、会社が牧場を手放さざるを得なくなった時、それなら独立して自身で経営していくと決心。小林さんが58歳の時です。
「もうこの歳ですし、美方ファームの牛は絶対人から後ろ指さされんようにしよう、と覚悟を決めました。雌牛は美方産のみで他所からは買わない、餌に余計なものは与えない、最初から最後まで自分たちで責任を持ち、本当にいいものを作って真っ当な価格で売り、ちゃんと利益を出す。やれることはとことんやろうと。立て直すまで3ヶ月くらいかかりましたが、その間給料が半分でも、若いスタッフは付いて来てくれました。彼らにはきっちり還元したい。たまにスタッフの家族や親戚が肉を買いに来てくれるのですが、美味しかったと喜んでくれたら、それは彼らの大きな自信とやりがいにもなると思うんです」
美方ファームの但馬牛は、神戸肉枝肉共励会でも最優秀賞を何度も受賞し、高い評価を得ています。但馬牛の特徴は、細やかなサシが均一に入った美しい霜降り肉。分厚く切ったサーロインを、小林さん自身がフライパンでさっと焼いてくれました。味付けは塩胡椒だけ。噛むと適度に弾力を持ちながら、口の中でほろほろとほどけ、肉の脂がジュワッと広がります。
胃もたれのない澄んだ脂なので、ここの肉はしゃぶしゃぶをしてもアクが出ないのだそうです。甘く柔らかな香りがふわりと鼻腔を抜け、繊細な旨味が口の中を満たし、心地よい余韻が残ります。「うまいもんは食べたらわかるでしょ」という小林さんの屈託ない笑顔には、仕事へのひたむきな姿勢と確固たる自信がひしと感じられました。
生き物を思いやり、自然に寄り添う「コウノトリ育む農法」
国の特別天然記念物に指定されているコウノトリは、環境破壊によって一時は絶滅の危機に瀕しました。豊岡市はコウノトリの野生復帰を願い、長い年月をかけて粘り強く人工飼育に取り組んだ結果、現在は毎年ヒナが誕生し、元気に空を飛び交う姿が見られます。幸せを運ぶ鳥ともいわれるコウノトリですが、実際にコウノトリの暮らす街には、田んぼに餌となる多様な生物が棲む自然のビオトープが形成されており、豊かな環境の証でもあります。
コウノトリと共に生きることを宣言した豊岡市では、田んぼの多様な生物を守る「コウノトリ育む農法」による稲作が広がっています。無農薬・減農薬・有機栽培はもちろんのこと、生き物を育てるために冬に水を張る「冬水田んぼ」、田植えの1ヶ月前から水を張る「早期湛水」、雑草を生えにくくする「深水管理」、オタマジャクシに手足が生え成長したことを確認してから水を抜く「中干し延期」など、美味しいお米であると同時に、生き物が元気に暮らし、豊かな自然環境を維持することを目的としています。
「コウノトリ育む農法」でお米を育てている「坪口農事未来研究所」の田んぼを訪ねました。代表取締役の平峰英子さんは元々この土地の出身。身近な人を癌で亡くし、食の大切さを改めて実感したことをきっかけに、農薬や化学肥料に頼らない農業を志しました。屋号には「農業の未来を考え、持続可能で強い農業形態を目指したい」という思いが込めれています。ここで使用している堆肥が、但馬牛のもの。「但馬牛はこの地域の特産であり、誇りです。それなら但馬牛にこだわって、地域で循環させたいと思いました」と平峰さん。
実はパン好きだという平峰さんですが、「コウノトリ育むお米」を育てるようになってからは、ご飯を食べることが多くなったとか。「安心・安全はもちろんですが、味もおいしいからなんです。いくつかの品種をブラインドで試食してもらうと、やっぱり無農薬のコウノトリ米に手が上がりますね」。豊岡市では、学校の給食も全て「コウノトリ育むお米」が使われているそうです。
田んぼの上にソーラーパネルを設置し、売電で経営を助けるソーラーシェアリング(電力は関西のパタゴニアで利用されている)、田んぼの水位や水温・地温が遠隔で測れるITセンサーを使ったスマート農業など、平峰さんは新しいシステムも積極的に導入しています。
地元の酒蔵と連携し、オリジナルの日本酒や甘酒を作る取り組みもスタート。ワインのようなさっぱりとフルーティーな味わいで飲みやすいお酒です。そして平峰さんの新たなる目標はカフェを作ること。
「お米をテーマに、季節の野菜をふんだんに使ったカレーを出せたらいいな、と夢が膨らんでいます。豊岡市は農業をすごく応援してくれるベースがあり、取り組みも他県と比べると一歩先を行っていて、心強いです」
豊岡市では「豊岡市農業ビジョン」を策定し、10年先の持続可能で幸せな農業の実現を目指し、意欲的に活動しています。
坪口農事未来研究所
ホームページ:https://tsuboguchi-agri.com/
フェイスブック:https://www.facebook.com/tsuboguchi.agri/豊岡を鞄の一大生産地へと導いた礎、「豊岡杞柳細工」
日本書紀や古事記、播磨風土記に登場する神様、アメノヒボコは但馬牛を飼育していた、という言い伝えがあります。それはこの土地の牛文化の発祥ではないかといわれていますが、その神様がもう一つ伝えたのが、籠を編む技術です。
湿地の多い豊岡では稲作も盛んでしたが、水辺にはコリヤナギが群生し、その枝を編んだ柳行李が作られました。昔は役牛だった但馬牛も、柳行李を背負って運搬していたかもしれません。古いものでは1200年前に作られた但馬国の柳箱が、奈良の正倉院に保存されています。作り方も現在とほとんど変わらないそう。江戸時代にはこの地域の特産として全国に広まり、明治に入ると、取っ手が付いた手提げの行李鞄が作られるようになりました。豊岡の鞄産業はそこから発展したといわれています。
現在、豊岡杞柳細工は伝統工芸品です。その貴重な技術を今に伝える「たくみ工芸」を訪ねました。寺内卓己さんは、コリヤナギの栽培から杞柳細工の制作、販売まで全て自身で行なっている、職人歴40年を超える伝統工芸士です。収穫したコリヤナギは冬の間保管し、皮を剥ぎ、水洗いし、乾燥させ、編むための材料作りにも大変手間と時間がかかります。寺内さんは話をしながらも手はリズミカルにサクサク動き、見る間に籠が編まれていきます。設計図は頭の中にある、と言い、自身の経験と勘で見事に編み上げます。
「杞柳細工は軽くて丈夫、雨や雪などの湿気に強く、風を通して虫を寄せ付けない。大変理に適った道具です。それが1000年以上作り続けられている要因ではないでしょうか。天然素材や自然環境への意識が高まる現代では、温故知新でまた新たな魅力を感じてもらえるようです」と寺内さん。
制作には時間がかかるため、何ヶ月も待つこともありますが、2個3個と買っていく、リピーターのお客さんも多いそう。職人志望の人が来ることも多く、最近は地域おこし協力隊のやる気ある若者に、技術を次世代に伝えるべく取り組んでいるそうです。キリリと端正な編み目の行李やバッグは、いつまでも眺めていたくなるほど、惚れ惚れとする美しさでした。
豊岡・但馬地方の豊かな自然とそこから育まれた伝統文化、
そしてそれらをさらにより良く未来へ繋げていこうと熱心に活動す る人々の思いに触れた旅でした。ここにはまた何度も足を運びたくなるような、 知られざる魅力的なお宝がまだまだたくさん潜んでいるようです。 取材・文 江澤香織