山本一力氏エッセイ
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一泊二日の伊勢路バス旅「ゆい」は、新大阪駅からのスタート。参加者全員、係員の案内でバス駐車場に向かった。
数台並んだバスのなかで。
「このバスで伊勢路に向かいます」
係員の言葉に、参加者たちが漏らした感嘆の吐息がかぶさった。
一台だけ屋根の高さが、他のバスから図抜けて高く突き出ていた。
朝の陽を浴びた車両が放つ、重厚な塗装色。、
大きさと色味の両方に圧倒されたがゆえの、深い吐息だった。
旅の醍醐味は「驚き」にある。
「ゆい」はまさに、期待感を膨らませる驚きから始まった。●もはやバスは移動手段ではなかった
最初の目的地・伊勢松坂を目指し、バスは名神高速を疾走し始めた。が、車内は速度を感じさせぬ静かさだ。
隣のカミさんと、小声での会話ができた。
CA(客室乗務員)さんの細やかな気配りが、木調を重視した内装と、見事なアンサンブルを奏でてくれる。
しかも彼女は訪問地に関する知識も経験も豊かだ。
このひとのガイドなら旅も楽しさをますに違いないと、始まりから嬉しくなった。
「ゆい」のバスは、ただの移動手段ではない。旅先でくつろぐ客室が、そのまま動いてくれているに等しい。
しかも知識に長けた仲居さんと共に。
静かな車内で、うっとり目を閉じた。●五十鈴川に手を差し入れて
この旅では「お伊勢参り」がかなうと、旅立ち前に聞かされていた。
まさにその通り。たっぷりと参詣時間が用意されており、あの清き流れの五十鈴川にも手を浸すことができた。
晩秋の午後の陽が、浅瀬を流れる川面を照らしている。
キラキラとした輝きに神々しさを感じたのは、わたしに限らぬようだ。
川に差し入れた手に残ったしずく。だれもがそれを、拭おうとはしなかった。二十代初め、旅行会社添乗員で、何度も伊勢神宮参詣の案内をしてきた。
五十鈴川にも手を差し入れてきた。
古希を過ぎてから参加できたお伊勢参りで、齢を重ねてこそ、実感できることはあると、身体の芯から実感できた。
伊勢神宮内宮を流れる時は悠久である。
江戸時代の旅人は、生涯に一度のお参りとばかりに、諸国から伊勢路を目指したという。
「ゆい」のようなバス旅があれば、卒寿はもちろん、白寿のお参りもできよう。●客室からの景観も味覚のひとつ
鳥羽国際ホテルは高台にある。
客室の大きな窓からの海の景観は、景色の見事さのみにあらず。
カミさんがいれた煎茶をいただきながら、沈みゆく夕陽に染まった湾を愛でた。
入り江を走る連絡船の白き船体が、ダイダイ色に見える。手前の小島に茂る松葉との色比べに、しばし見とれた。いまさらだが、旅の楽しみといえば。
土地土地の厳選された食材と、その美味さを極限まで引き出す調理法。
その両者の実りを堪能できる晩餐だろう。
鳥羽国際ホテルでは、この地の海から獲れたあわびを用いた、フランス料理を堪能した。
多彩な献立が連続して供されたが、負担を感じない、ほどよきホリュームだ。
あれこれ食したくても量に怯む年配者には、まことにありがたい配慮だった。
この宿は別棟で温泉が楽しめる。
ホテルの連絡バスもあるが、朝湯の行き来は歩くのも一興だ。坂道を往復したあとの朝飯は、格別の美味だった。加齢による衰えは足に出るという。
はやる気持ちはあっても、道中の歩みを思えば二の足を踏むという向きも多かろう。
「ゆい」はその憂いを解消してくれよう。
目的地に至る車内から、すでに旅を満喫できるからだ。
案内役のCAさんも、旅のツボを存分に心得ておいでだ。
伊勢路から戻って、そろそろ半年。
いまやカミさんと、次の「ゆい」をどこにしようかと検討する毎日である。文/山本一力 写真/岡田勉
山本一力
1948(昭和23)年高知県生れ。東京都立世田谷工業高校電子科卒業後、旅行会社勤務などを経て、1997(平成9)年『蒼龍』でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。2002年、『あかね空』で直木賞を受賞。著書に『損料屋喜八郎始末控え』『欅しぐれ』『だいこん』『銭売り賽蔵』『かんじき飛脚』『銀しゃり』『研ぎ師太吉』『いすゞ鳴る』『人情屋横丁』『くじら組』『八つ花ごよみ』『おたふく』『べんけい飛脚』『千両かんばん』『紅けむり』「ジョン・マン」シリーズ他多数。