歴史・文化を慈しみ、未来へと繋ぐ。豊岡の街づくり、ものづくりを訪ねて
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兵庫県・豊岡市の観光地といえば、まず筆頭に挙げられるのは城崎温泉でしょうか。街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)沿いには、木造和風建築の老舗旅館や商店が建ち並び、外湯めぐりを楽しむ浴衣姿の人々が、柳の並木道を夕涼みがてらのんびりとそぞろ歩く、風情ある街の様子が目に浮かびます。1300年以上の古い歴史があるという城崎温泉。その始まりは、717年にこの地へやってきた僧侶が、人々の難病を救うために千日間の修行を行った末、湯が湧き出したと伝えられています。明治以降は多くの文豪に愛され、志賀直哉の「城の崎にて」は言わずと知れた著名な小説。現在は旅館の若旦那衆が力を合わせ、「本と温泉」をテーマに、城崎を文学の街として盛り上げようというユニークな試みも行われています。歴史や文化を大切にし、未来へ繋いでいきたいという揺るぎない想いを持って活動している人々が、この地域にはたくさんいます。古い建物をリノベーションして、他にはない唯一無二の空間として蘇らせたり、ものづくりの哲学を次世代に継承し、新しい何かを生み出せる環境を整えたり。豊岡のこれからを担い、応援したくなるような、魅力ある人と場所に会いに行く旅へ出かけましょう。
老舗料亭〈とゞ兵〉がアートと融合し、自由で新しい多目的スペースに
城崎温泉からJRに乗り、15分弱で到着する豊岡駅を降りると、風景はガラリと変わります。このエリアは但馬地方の中では最も大きな都市ですが、どこかのんびりと落ち着いた雰囲気。街を散策しながらよくよく見ると、新しい建物に混じって、歴史を物語る味わい深い建物が多いことに気付かされます。ここは大正時代の鉄道開通に始まった都市計画をベースに、大正末期に甚大な被害をもたらした「北但大震災」の後に建設された復興建築が、現在も当時のままの姿で多く残っているのです。レトロ建築好きにとっては、楽しい街歩きになることでしょう。
駅からの長い商店街を歩き、突き当たりを曲がった、街の外れの川沿いに、突如現れるのが不思議なウォールアート!壁一面にカラフルでモダンな模様が描かれており、遠くから見ても大いにインパクトがあります。一体何の建物なのか、思わず入り口まで近づいてみると、今度は純和風な瓦屋根の門構え。ますます謎が深まります。実はこちらは江戸末期、弘化4年創業の老舗高級料亭だった〈とゞ兵(とどひょう)〉の建物をリノベーションした、多目的スペース。鉄筋と木造が入り混じったかなりユニークな構造で、建物の部分によっては築90年を越えているそう。県の景観形成重要建造物に指定されています。
「この時代の建物は近代和風建築といって、和と洋がいい感じに融合したすごく面白い建物なんですよ」と楽しそうに話すのは、とゞ兵のオーナーで、様々なイベントを企画し、豊岡を盛り上げる立役者の小山俊和さん。関東の出身で建築や街づくりに関わる仕事をしていましたが、妻の故郷である豊岡でこの建物に出会い、家族で移住してきました。
「僕が最初に来た時は本当に廃墟同然のボロボロで、取り壊す前提の話で相談を受けたんです。しかし街の人々に話を聞いてみると、みなさんここを大切に思われていて、思い出深い場所であることがわかりました。それなら自分の今までの経験を生かし、人が集まる賑わいの拠点、情報の発信地としてここを再生できたら面白いのでは、とアイデアが浮かんできたのです」
小山さんは思い切って建物を購入。内部を細かく分け、事務所やコワーキングスペース、シェアキッチン、イベントスペース、店舗、カフェなど、多様な活用を手掛けました。リノベーションには全国の建築学生たちに声をかけて協力してもらい、多くの人を巻き込むことで、様々な交流の生まれる場所となっていったのです。建物には昔の造りがまだ多く残っており、建具や床、窓ガラスなど、立ち止まってじっくり眺めたくなるようなポイントが多々。所々に現代アートが展示されており、古い建物の雰囲気と不思議に融合しています。迷路のように入り組んだ屋内を探索するだけでも楽しく、建物として存分に見応えあり。扉を開けるたびに「おおっ」と声を上げてしまう小さな発見があり、見れば見るほど面白さが増して時間が足りません。
特にメインの見どころは宴会場だった大広間。かつては財を成した旦那衆が夜な夜な酒を酌み交わしたかもしれない、およそ80畳の広々としたスペースは、現在、ヨガ教室や音楽ライブなどに利用されています。屋外には中庭スペースがあり、マルシェやバーベキューなどを楽しめるイベントも行われているそうです。
「僕は黒子なので、自分がここで何をしたい、というより、みんなが新しい発想で自由に面白く使ってくれたら嬉しい。ある程度ジャッジはしつつも、使い方の大部分は使う人に委ねています」と小山さん。豊岡の街の雰囲気を感じながら、どんな表現をしてくれるのかが楽しみであり、地元の人も外から来る人も、長く愛着を持って関わってもらえる場所にしていきたい、とのこと。
ところで店名の由来は驚くことに、本物の「トド」。明治初年に山陰沖で捕獲された、3mに及ぶ巨大なトドを、料亭の初代店主であった兵助が買い取って店頭に飾ったところ、連日多くの見物人が集まり、店はいつの間にかとどの兵助、略してとゞ兵と呼ばれるようになったそうです。トドの剥製は今も大事に飾られており、実際に見ると本当に巨大でびっくりします。お腹には赤ちゃんもいたそうで、何やら縁起のいいトドです。昔の料亭を知る人は、店に来るとこの剥製を撫でていたそうで、子供の頃は滑り台のように背中を滑っていた、なんていうエピソードも。街の人々に愛された料亭であることを物語っていました。
建物の一角にあるカフェ「todo bien coffee(トドビエンコーヒー)」は、小山さんの奥様が店主を務め、キュートなトドのイラストがトレードマーク。この場所が好きな人、興味ある人が自然と集まって面白い企みを考える、みんなの心の拠り所のような店になっているようです。豊岡を旅するなら、まずはここでコーヒーでも飲みながら、店主や集まったお客さんとコミュニケーションを楽しんでみるのも良いのではないでしょうか。
カバンの街・豊岡で、真摯に本物のものづくりを追求する〈マスミ鞄嚢〉
とゞ兵があるのは、カバンストリートと呼ばれる場所で、豊岡は鞄の生産量日本一を誇る、職人の街でもあります。鞄の販売から修理、クリーニングまで、様々な店が軒を連ね、散策が楽しいエリア。そのカバンストリートから徒歩4、5分、ちょっと足を伸ばした円山川沿いに一軒の立派なお屋敷が目に留まります。
〈マスミ鞄嚢(ほうのう)〉は創業100年を超える、歴史ある鞄メーカー。元は平屋だったという築90年の建物をリノベーションし、2018年にファクトリーショップがオープンしました。今までは製造工場だけでしたが、新しく作った中2階のスペースをショップとして解放し、一般の人も自由に中で買い物ができるように。ショップの床の一部は吹き抜けになっており、1階で働く職人さんの作業の様子を覗き見ることができます。
「以前はOEMと言って、自社の名前は出さず、皆さんご存知のアパレルブランドなどの商品を主に請け負っていました。豊岡はそういうメーカーが多かったんです。しかし時代の流れもあり、他に頼るばかりでなく、自らブランドを立ち上げて情報発信し、誇りを持って自分たちの技術を伝えていくことも必要だと感じたのです」と代表の植村賢仁さん。
店のテーマは「カバンとライフスタイル」。マスミ鞄嚢では現在量産できる自社ブランドを展開していますが、一方でオーダーメイドの注文が今でも半分以上を占めるといいます。アタッシュケース、ビジネスバッグはもちろん、以前使っていたけれど壊れてしまい、もう販売していないバッグを、使い勝手が良かったから、自分のオーダーを加えて新しく作って欲しい、なんていうわがままな注文にも答えます。財布やキーケースなど、カバンとセットで小物をオーダーすることも可能です。宝石商専用の細かい仕切りのついたアタッシュケースや、電気通信技師が山で使う、腰に巻ける特殊な通信機器用ケースなど、かなり専門的な道具も作ります。「ご要望頂いたものは基本的にはなんでも作れます」と自信をみせる植村さん。ショップには、船旅用の豪華な革製船箪笥も飾られていました。かつては皇太子様の御外遊のために作られたものだそうですが、近年ではリビングで家具として使うインテリア用や、店舗の什器としての需要があるそうです。映画のために料理人役の俳優が使うスーツケース状になった移動式シェフテーブル、オリンピックのトーチを入れるケースなど、かなりユニークな大作もありました。注文するお客様だけが入室できるという、蔵を改装した特別なオーダールームには、高級皮革をはじめとする100種類以上のあらゆる素材がずらりと並び、眺めるだけでも圧巻。最近では、オンラインでの受注も受け付けています。
どんなオーダーも引き受けるという頼もしいスーパー職人集団。
その高度な技術の一つに、創業当時から設けている「木工部」があります。鞄の原型となる木枠から自分たちで制作しているところは稀で、専用の設備を備え、職人の細やかで丁寧な手仕事の技が欠かせません。この木工部があることで、イレギュラーなオーダーにも臨機応変に応え、個性的な鞄を自分たちで自在に開発することが可能なのです。
豊岡でのカバン作りの歴史は非常に古く、そのルーツは古事記にも記された柳細工のかごに始まります。次第に地場産業として発展し、江戸時代には豊岡藩の独占取扱品として、柳行李の生産が盛んに行われました。明治になると西洋の文化が浸透し、行李鞄が誕生。そこからさらなる改良を加え、錠前付き漆塗りの新型鞄の創作に関わったのがマスミ鞄嚢の創業者だといわれます。その後革製品に着目し、柳を革に変えたオリジナルの箱型鞄を新たに開発。これは豊岡初の試みで、会社の始まりとなりました。
マスミ鞄嚢は、この土地に古くから脈々と続く鞄の歴史文化を背景に、顧客にも職人にも誠実に向き合い、真摯にコツコツと技術を継承してきました。ファクトリーショップでは、その本物を追求する心意気と、研ぎ澄まされた職人の技を五感で感じることができます。
近畿最古の芝居小屋〈永楽館〉が、古き良き新しい魅力を発信
JR豊岡駅周辺から車で20分くらいのところにある出石町。但馬の小京都と呼ばれる城下町です。「古事記」や「日本書紀」にも名前が登場するほど歴史の古い街で、江戸時代から明治大正の建物までが多く残っています。特に明治初期に建てられ、時計台として親しまれている「辰鼓楼」は出石のシンボル的存在。また、出石に来たらどうしても食べずにはいられないのが「出石そば」。江戸時代中期に信州からきた職人によって、そば打ちの技法が伝えられたといわれます。ちょっと変わっているのは、手塩皿と呼ばれる、地元の出石焼の白い小皿にそばが盛られ、何枚も出てくること。テーブルいっぱいに小皿がずらっと並ぶ様子はなかなか壮観です。一人前の基本は5皿といわれますが、たくさん食べる人は20皿、30皿と平らげてしまうそうです。出石には50軒ほどの蕎麦屋があり、ミシュランに掲載される名店も。関西屈指の蕎麦処です。
さて、蕎麦といえば落語の噺にもよく登場する食べ物ですが、出石には落語を楽しめる近畿地方最古の芝居小屋〈永楽館〉があります。ここは特筆すべき観光名所で、劇場建築としては日本最古。兵庫県の重要有形文化財に指定されています。歴史を辿ると、出石で古くから代々織物業を営んできた小幡家の11代当主が無類の芝居好きで、1901年(明治34年)に私財を投じて建てたものだそうです。歌舞伎、落語、宝塚歌劇団など様々な公演が行われ、大盛況だったとか。時代の流れに伴って、1930年代からは映画館として利用され、その後も存続のために試行錯誤が続けられますが、一般家庭へのテレビの普及や娯楽多様化の影響を受け、1964年(昭和39年)に閉館となります。しかし建物はその後もずっと大切に保存されていたのでした。時は流れ、かつて永楽館を愛していた人々を中心に再生の機運が高まり、ようやく改修工事がスタート。2008年(平成20年)に40年以上の時を経て、ついに復活したのです。杮落としは6代目片岡愛之助一座による大歌舞伎を公演。300人収容というほど良い規模感のため、席によっては役者がすぐ目の前を歩き、普通のホールでは決して味わえない大迫力と臨場感。現在は、芝居や落語のほか、講演会、ライブやコンサートなど、幅広いイベントに使われています。ジャズ、ロック、オペラなど、多様なジャンルに対応し、若い世代には新しい発見だと喜ばれるそう。歴史と伝統ある芝居小屋が持つ、ここだけの特別なオーラに、出演者も観客もぐっと心を掴まれてしまう、不思議な魅力に溢れています。
時にはジョークを交えながら、面白く丁寧に建物の説明をしてくれたのは、永楽館の元館長として長く尽力してきた赤浦毅さん。ここへ来る以前は、神戸市内のアンティーク専門店で店長兼バイヤーとして働いていました。
「全然違う職種だと珍しがられますが、自分は昔から古いものが好きで、この建物も言ってみればアンティークです。ヴィンテージのジーパンを説明するのも、この建物の良さを伝えることも、根本的な部分では一緒だと気付きました」赤浦さんは子供が生まれたことをきっかけに、妻の出身地である出石へ移住。この街の雰囲気に惹かれ、自分も何か役に立てないかと模索していたところ、たまたま募集があった出石まちづくり公社に応募し、いきなり館長に抜擢されたのでした。
「永楽館の復活には、長い間このために活動されていた地元の方々の並々ならぬ熱い想いがありましたので、自分のようなよそ者が関わることは背水の陣でした。13年間必死にやらせていただき、すごくやりがいのある面白い仕事に就けたと思っています。こんな経験は滅多にできない。いい環境をもらいました。自分を受け入れてくれた懐深い出石の皆さんには感謝しかありません。今後はどんな風に出石にお返しできるか、自分のできることの挑戦を続けたいと思っています」
赤浦さんは現在、現場を若い後輩に譲り、自称なんでも屋と名乗って、出石のまちづくり全体の統括に関わっています。地元とのつながりを大切にし、永楽館をはじめとする出石の魅力を幅広く発信しています。
永楽館では、公演がない日には館内の見学ツアーを開催しています。実際に中に足を踏み入れてみると、歴史的建造物が持つ古き良き情緒的な味わい深さと共に、芝居小屋としての精巧さ、文化財としての価値の高さに驚きます。まるで時代劇の映画のセットのように感じますが、全て本物。入ってすぐ目に入る、客席をぐるりと囲むように並んでいるレトロな看板も当時のままで、色だけ修復したもの。出石の街中では、今もこの店の1/3が実際に営業を続けているそうです。130年前の床板がそのまま残る「花道」は、何人もの役者がその上を行き来し、柿渋が塗り込められ、ツルツルに磨かれています。柱の傷や壁の落書きも当時のままに残され、往年の時代を物語ります。そして特に興味深い見どころは「セリ」「すっぽん」「ぶどう棚」「廻り舞台」など、芝居小屋特有の仕掛けの数々。これらは今もなんと現役で使うことができるのです。裏に回って一つ一つのカラクリを見せてもらうと、職人の技術の高さに感嘆するばかり。昔の舞台裏はほとんどが手動だったことから、役者や裏方の面々がここでどんなに忙しく立ち回っていたのか、想像するだけでワクワクします。それぞれの場所や道具には、語り尽くせないほどたくさんのエピソードがあり、ここでしか見られないような珍しい造りも多々あって、この建物が持つ強い存在感、底知れぬパワーに圧倒されます。芝居、歴史、建築など様々な視点で胸に刺さる、大変満足度の高い見学ツアー。出石を訪れるなら外せないスポットです。
1200年の歴史ある伝統工芸・豊岡杞柳細工を未来へ継承する〈たくみ工芸〉
永楽館から徒歩数分のところには、〈たくみ工芸〉が運営する新しいスポット「伝統工芸館 杞柳」があります。2021年3月にオープンしたこの施設では、豊岡の伝統工芸である杞柳細工を幅広く紹介しています。広く明るい館内には、壁一面の棚に籠バッグや柳行李がずらり。籠好きにはたまらない光景です。多くは販売しているものですが、中には工芸品として非常に価値の高い、古い時代に作られた展示品(非売)もあります。ここでは作品の展示・販売を行うとともに、作業する工房を備え、職人が実際に籠を作る様子を間近に見学することができます。
「杞柳細工はこれからの未来に可能性がありますし、歴史と伝統に育まれた大きな価値を後世に残して行きたい強い思いがあります。この場所があることで、お客様にはものづくりの現場を体感してもらい、杞柳細工についてもっと知ってもらえたら嬉しい。ここで職人とコミュニケーションを取ることもお互いにいい刺激になります。職人たちにとっては、販売を自分たちで行うことで、ビジネスを実体験として学べる絶好の機会にもなります」とたくみ工芸で40年以上、杞柳細工の制作に携わる伝統工芸士、寺内卓己さん。
豊岡杞柳細工は、1200年に遡る古い歴史があります。この地域では、昔から自生していたコリヤナギを編み、道具が作られていました。東大寺の正倉院には、奈良時代に作られた「但馬国産柳箱」が今も保存されており、室町時代の軍記「応仁記」には、柳行李が商品として盛んに売買されていたことが記されています。江戸時代になると、柳行李は地域の名産品として全国に広まり、大名・武士から庶民まで幅広く使われるようになりました。明治時代には、柳行李の技術を応用した行李鞄が作られ、パリ万博でも賞賛されます。やがて海外へ輸出されるまでに。それらは豊岡カバンの原点にもなりました。戦後は高度経済成長、大量生産の波に押されて作り手は激減し、現在、伝統工芸士は寺内さん一人になってしまいましたが、近年は環境に優しい自然素材と丁寧な暮らし、本物のものづくりが見直され、再び大きな注目を浴びています。
たくみ工芸では、現在若いお弟子さんが少しずつ増えているそうです。訪ねた日には二人のお弟子さんが真剣に作業に向き合っていました。おむすびなどを入れるのに丁度いい、網目のきれいな小さな飯行李に取り組んでいたのは岡井見恩子さん。もともとものづくりが好きで、前職ではニット製品を作っていたそうですが、杞柳細工は材料を育てるところから関われて、ものづくりの本当の価値を伝えられることに魅力を感じ、弟子入りしたそうです。「続けていくのは大変ですが、もっと極めていきたい。がんばります」と明るい笑顔で答えてくれました。奥で大きな柳行李を黙々と制作していたのは、加藤かなるさん。ドイツに7年住んでいたことがあるそうで、海外経験から日本を俯瞰して見たとき、改めて日本独自の伝統文化に深い興味を持ったそうです。「豊岡という街の雰囲気にも惹かれました。伝統工芸の継承に関われることに魅力を感じて、地域おこし協力隊に応募し、こちらに来ることができました。師匠の思いをしっかり汲み取って、この産業の発展に携われるよう、これからもさらに奮闘していきたいです」と熱意を持って語ってくれました。
お弟子さんが増え、やることも増えてますます忙しくなったという寺内さんですが、真面目に取り組むお弟子さんたちの姿に頼もしさも感じているようで、少し嬉しそうな表情を浮かべていました。「伝統工芸館 杞柳」では籠編みの体験講座も行なっており、若い職人さんたちが作り方を教えてくれます。旅のお土産にも嬉しい試みです。
登録有形文化財指定の瀟洒なクラシックホテル〈オーベルジュ豊岡1925〉に泊まる
古い街並みが残る豊岡の通りを歩くと、ひときわ目を引く建物があります。思わず足を止めてしまう、重厚でクラシカルな外観。〈オーベルジュ豊岡1925〉は、1934年(昭和9年)に建てられた元銀行(兵庫県農工銀行豊岡支店、後に旧豊岡市役所南庁舎として利用)で、国の登録有形文化財。この貴重な歴史的建造物が、泊まることのできるホテルとして再生されました。1925という数字は北但大震災が起こった年であり、豊岡は甚大な被害を受けました。震災後は災害に強い街を目指し、耐震・耐火に配慮した鉄筋の建物が続々と増えていきます。1925年は大正時代がそろそろ終わりを告げ、豊岡の復興の始まりであり、世界中が近代化へ向けて動き出す、夢のある年。そのシンボルともいえるこの建物への深い思いが込められています。
建物の内部にも昔の面影が感じられ、窓ガラスや床のタイル、壁のレリーフなど、当時のままの状態で残されているところがあちこちにあります。興味深いのは、2階の鉄格子扉を開けて狭い廊下を歩いた突き当たりにある古い金庫。銀行時代に使われていた本物の金庫が残されています。どっしりと重厚で頑丈そうな金属製の扉や鍵は一見の価値あり。金庫からさらに階段を上がったところは吹き抜けのラウンジになっており、ホテルのエントランスホール全体を見渡せます。セルフサービスのバースペースになっており、ここでのんびりお酒でも飲みながら建物を眺めれば、至福の時間が過ごせます。
客室はすっきりとシンプルで、余計なものがありません。鍵は古風な鍵穴式というのも味わいがあります。冷蔵庫は設置されていますが、テレビや時計はなし。時間やノイズを気にせず、昔へタイムスリップしたような気分を味わい、レトロな趣を堪能できるようにとの配慮です。夕食は地元の旬の食材をふんだんに使い、素材そのものの自然な風味を味わえるような料理。ヨーロッパのオーベルジュを体現したような、クラシカルな空間で楽しむ食事もこのホテルの醍醐味の一つです。
古くから受け継がれてきた歴史と文化をしみじみと味わいながら、新たな活動にワクワクする気分も高まり、また何度でも訪ねたいと思う魅力的な人と場所に出会えた豊岡の旅でした。
<文・江澤香織 写真・田中貴 編集・吉田知香子>
生き物を思いやり、自然に寄り添う「コウノトリ育む農法」
国の特別天然記念物に指定されているコウノトリは、環境破壊によって一時は絶滅の危機に瀕しました。豊岡市はコウノトリの野生復帰を願い、長い年月をかけて粘り強く人工飼育に取り組んだ結果、現在は毎年ヒナが誕生し、元気に空を飛び交う姿が見られます。幸せを運ぶ鳥ともいわれるコウノトリですが、実際にコウノトリの暮らす街には、田んぼに餌となる多様な生物が棲む自然のビオトープが形成されており、豊かな環境の証でもあります。
コウノトリと共に生きることを宣言した豊岡市では、田んぼの多様な生物を守る「コウノトリ育む農法」による稲作が広がっています。無農薬・減農薬・有機栽培はもちろんのこと、生き物を育てるために冬に水を張る「冬水田んぼ」、田植えの1ヶ月前から水を張る「早期湛水」、雑草を生えにくくする「深水管理」、オタマジャクシに手足が生え成長したことを確認してから水を抜く「中干し延期」など、美味しいお米であると同時に、生き物が元気に暮らし、豊かな自然環境を維持することを目的としています。
「コウノトリ育む農法」でお米を育てている「坪口農事未来研究所」の田んぼを訪ねました。代表取締役の平峰英子さんは元々この土地の出身。身近な人を癌で亡くし、食の大切さを改めて実感したことをきっかけに、農薬や化学肥料に頼らない農業を志しました。屋号には「農業の未来を考え、持続可能で強い農業形態を目指したい」という思いが込めれています。ここで使用している堆肥が、但馬牛のもの。「但馬牛はこの地域の特産であり、誇りです。それなら但馬牛にこだわって、地域で循環させたいと思いました」と平峰さん。
実はパン好きだという平峰さんですが、「コウノトリ育むお米」を育てるようになってからは、ご飯を食べることが多くなったとか。「安心・安全はもちろんですが、味もおいしいからなんです。いくつかの品種をブラインドで試食してもらうと、やっぱり無農薬のコウノトリ米に手が上がりますね」。豊岡市では、学校の給食も全て「コウノトリ育むお米」が使われているそうです。
田んぼの上にソーラーパネルを設置し、売電で経営を助けるソーラーシェアリング(電力は関西のパタゴニアで利用されている)、田んぼの水位や水温・地温が遠隔で測れるITセンサーを使ったスマート農業など、平峰さんは新しいシステムも積極的に導入しています。
地元の酒蔵と連携し、オリジナルの日本酒や甘酒を作る取り組みもスタート。ワインのようなさっぱりとフルーティーな味わいで飲みやすいお酒です。そして平峰さんの新たなる目標はカフェを作ること。
「お米をテーマに、季節の野菜をふんだんに使ったカレーを出せたらいいな、と夢が膨らんでいます。豊岡市は農業をすごく応援してくれるベースがあり、取り組みも他県と比べると一歩先を行っていて、心強いです」
豊岡市では「豊岡市農業ビジョン」を策定し、10年先の持続可能で幸せな農業の実現を目指し、意欲的に活動しています。
<取材・文 江澤香織>
坪口農事未来研究所
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