「松茸」
フードコラムニスト 門上 武司
かつて破天荒な料理人がいた。「すき焼きしましょうか。野菜は松茸だけ」と言いきった。期待と不安を抱き、彼の料理店に足を踏み入れた。テーブルにはすき焼き用の鍋と、なんとその横にはスライサーが用意されていたのであった。そこには黒毛和牛のサーロインの塊が乗っていた。「牛肉は切りたてが一番うまいんです」と話し、鍋を温めサーロインを切り、すぐに鍋に入れた。両面をサッと焼くと一旦皿に移す。「すき焼きですから、焼くのが大事」と。続いて鍋に松茸を入れ、それがシナっとなったところに牛肉を戻し、少し温めると完成。取り皿に卵がない。「卵は牛肉や松茸の味が薄くなるからあきません!」となり、そのまま食べると彼の発言通り、牛肉と松茸が持つ香りや味わいをしっかり感じることができた。
松茸の季節になるとこのすき焼きのことを思い出し、以来牛肉は最初の数枚食べるときは卵をつけないようになった。
また数年前、松茸の季節に金沢の割烹を訪れた。通常は夜の営業は18時と20時半というように二回転だが、松茸の時期は19時の一回だけになる。「今日は仕入れのために500キロ走りました。珠州(能登半島の最北端)で午後の2時半に収穫した松茸をお出しするので、この時間になるのです。今日の松茸をどうしても食べてもらいたいので」と主人は説明してくれた。最初に松茸のおかゆが出た。そのふくよかな香りには、心が揺れた。おかゆに対する印象が変わるほど。造りや椀が出たあとに、炭火で松茸が焼かれる。塩と割り下醤油で食べる。歯を入れると香りと同時に旨みの液体がぐっと溢れる。これは質と鮮度がもたらす贅沢だと思った。えらいものに出会ってしまったというのが正直な感想であった。
今年の春、信州飯田市の割烹に行った。国内をかなり食べ歩いている人たちと同じテーブルを囲み熊鍋をつついていた。その時一人の男性が「ここの秋の松茸はすごいです。○○(前述の金沢の割烹)と双璧です」と話し始めた。「ここもすごいんですか?」と聞くと「ここは、山が近いので2時間前に採れたのを出すのです」との返事。2時間前。鮮度が違う。その言葉に鋭く反応してしまった。金沢は4時間半前である。その2時間半の差は、どんな感じになるのであろう。
夏に、この割烹に連絡すると「松茸がいいのはおそらく二週間ぐらいだと思います」との返事で、ほとんど昨年それを食べた人たちの予約で埋まっていた。
食べ物の力は、すごい。多くの人を手繰り寄せる。
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●秋の味覚の王様 四季菜料理「宮本屋」野天席でいただく丹波松茸会席
●食と芸術 秋のトリデンテ 五感で感じる丹波産松茸フレンチ・黒豆ガラスと兵庫陶芸美術館